こんにちは、つむぎゆりです!
今回は、「遠慮」の語源について解説します。
結論からいうと、広島大学の論文によれば、現代の「遠慮」の意味が初めて使われた文献は平安時代の小右記で、北条九代記などの文献によれば江戸時代から現代のような意味合いでも使われました。
また、由来としては、中国の「史記」にもともと「深謀遠慮」という言葉があり、「慎重に考える」という意味合いでしたが、時間とともに「配慮し言動をひかえる」となり、理由としては「意味の連想や国民性」と考えられています。
「いなげな」や「げな」の語源↓
がんもどきの語源↓
くしゃみの語源↓
遠慮の語源を徹底調査
まずなぜこの記事を書こうと思ったかというと、僕はブログを書いている関係上、語源辞書をめくっておもしろそうな単語を探すのが日課なんですね笑
そのなかで、「遠慮」という単語を見かけ、遠慮って日本っぽい言葉だし語源ってなんだろうって思って見てみたんですよ。
すると、語源の説がいくつかあって、これはおもしろそうだぞと思って徹底的に調べてみようと思った次第です笑
語源辞書で調べてみる
手持ちに語源辞書が3冊あるのですが、そのうちふたつに「遠慮」が載っていました。
語源はあとにとっておくとして、まずは「遠慮」の意味から紹介。
新明解 語源辞典(刊:三省堂)
意味:相手に配慮して、言動をひかえること
日本語現時点(刊:学研教育出版)
意味:言動をひかえめにすること
辞書によれば『行動』ではなく、あくまで『言動』とのこと(実生活では行動も含まれている印象)。
…というか意味がほぼ同じですね笑
続いて、本題の『語源』も見ていきます。
新明解 語源辞典
【語源①】中国の「史記」に、もともと「深謀遠慮」という言葉があり、もともとは目先のことにとらわれず将来を見越して深く考えるという意味合いだった。
【語源②】日葡辞書(にっぽじしょ。キリシタン宣教師用の、ポルトガル語で書かれた日本語辞書)には、状況を考えて行動を猶予する意味合いが書かれていた。
もうひとつの日本語源辞典も調べてみましたが、上記ほど詳しくないにせよ、ほぼ同じ内容でした笑
で、まとめなのですが、どちらの辞書も中国では「遠慮」という言葉が、「先のことを予測して慎重になる」という意味合いだったのが、日本では「先方の事情を組んで、言動を慎むことを表すようになった」といった記述でした。
それではこの記事はここで終わり…いえいえまだ続きます笑
ネットで語源を調べてみる
ここまでの最大の疑問点として、中国から「遠慮」という言葉が渡って、いつどうして意味合いが変わったのか、という点が最大の焦点となりそうですが、そのまえに続いてネットで語源を調べていきたいと思います。
調べた結果、以下のとおり。
- すぐに行動をとらない→江戸時代から態度を控えめにすることを表すようになった
- 江戸時代、「遠慮」という刑罰があった。内容は籠居(ろうきょ)で、夜の隠れた外出や、他者の出入りを制限せず、自主的におこなう意味街が強いもの。※後述する論文によれば、軽い謹慎刑で、江戸幕府と共に消えていった習わし
どうやら、「江戸時代から今の遠慮の意味になっていった」っぽいです笑
ただ、具体的に何に記述されているのかだったり、どうして変わったのかまではわかりませんでした。
また江戸時代には「遠慮」という名の刑罰があったらしく、どうやら鍵は江戸時代ということまではわかりましたが、なかなかネットにそれらしき情報がなく困り果てていたのですが…。
「遠慮」の由来を調査した論文を発見
そんななか、なんと筆者とまったく同じことを考えていたと思わしき学者さんが存在しており笑、なんともありがたいことに論文を残してくださってました。
それでは全15ページにわたる論文をしっかりとすべて読み、要点をまとめていきたいと思います笑
遠慮が日本ではいつからどうやって使われたか
- 奈良時代から文献で「遠慮」を確認できる(このときはまだ中国で使われた意味)
- 平安時代までは漢文に限られていたが、鎌倉時代で日常用語に近くなる
- 小右記(おうき・しょうゆうき。平安時代に書かれた藤原実資の日記)に、現代のような意味合いの「遠慮」の記述が見られる(ただし同時代ではこれ1つしか見つからなかった)
- 鎌倉時代では日本語として遠慮するが使われていたが、まだ意味は中国のものに近かった
- 江戸時代になって、今の意味の遠慮が「音読み」、昔の意味の遠慮が「訓読み」で区別されるようになっていく
- その後も、北条九代記(ほうじょうくだいき)などで、現代の意味の「遠慮」もいくつかの文献で確認
- なぜ意味が変わったか仮説:先のことを考える→慎重になって控えめに振る舞うという意味に転じた?
- 日本人の「配慮」や「思いやり」を重視する国民性も要因ではないか
箇条書きがすごい数になってしまいました笑
論文の要点をまとめると、江戸時代から現代のような意味になり、意味が変化した理由としては、「考える」が「慎重に振る舞う」になった、日本の国民性も関係するのでは、といった感じでしょうか。
これでいつから遠慮の意味が変わったかはわかりましたが、なぜ変わったのかは大学の論文でも特定できていないので、おそらくこれ以上調べてもわからないと思われます笑
論文の詳細
まず、日本で始めて現代の意味で「遠慮」を使っていた文献は小右記です。
小右記について少し調べてみたのですが、平安時代の貴族の日記で、日常のさまざまなことが書かれているもののようですね。
続いて、江戸時代の文献で、現代の「遠慮」の意味を多く使っていた文献は北条九代記でした。
この北条九代記についても軽く調べてみたのですが、ふたとおりの意味があり、鎌倉時代のものを記した同名の作品がありますが、上記は江戸時代に作られたほうの作品で物語ふうの論評とのこと。
内容の詳細は、北条家の歴史(1~9代)を記した雑史書で全12巻。
上記論文のなかでは作者不詳と紹介されていましたが、別の論文上では浅井了意と解説されていました笑
その浅井了意さんは住職さんなのですが、多くの著作があって時代を代表する作家さんなのだそうです。
由来を調べた感想や独自考察
まず思ったのは、自分とまったく同じ疑問をもった学者さんが論文をすでに書いてくれていたことが超うれしかったですね笑
というか、市販されてる辞書や既存サイトは、この論文を参考にしたのでしょうか(2002年の露文なのでその可能性は高そう)。
さらに、言葉が転じる際はいきなり変わるのではなく、まず意味は同じでも言葉の読み方が変わり、そこから意味が変わっていくなどの順番があること。
そして少しずつ意味が塗り替えられていく、リアルタイム性(?)も非常に興味深かったです。
…ただ、じゃあ実際に、「遠慮」が今の意味になった具体的なきっかけのようなものはわからなかったのが心残りという感想を持ちました。
なんでしょうね、江戸時代ってそれまでの時代よりもかなり平和になったわけで、「遠慮」する慣習が広まるくらい人々のあいだに余裕が生まれたんでしょうかね?
要は、みんなが遠慮(配慮や思いやり)するようになっていったが、それに代わる言葉がなかったため、すでにあった遠慮という言葉が使われ、そして徐々に本来の意味が失われていった、という感じでしょうか(完全にこれは僕の憶測ですが笑)
または「遠慮」という謹慎刑の影響で意味が変化したが、刑自体がなくなったことによりもともとの意味が完全に忘れさられた…なども考えられますね。
というか「遠慮」の漢字自体、「遠くを慮る」で、対人関係に使うといった意味合いではないのに、今まで疑問にすら思わなかったなぁとあらためて思いました笑
まとめ
以上、遠慮の語源や由来を解説しました!
今後、何がしかのシーンで遠慮してる人と遭遇したら、この雑学を使えそうと思った次第です笑