こんにちは、つむぎゆりです!
今回は、がんもどきの語源や由来を解説します。
結論からいうと、関東ではがんもどき、関西ではひりゅうずと呼ばれていますが、それぞれ語源が別に存在。
「雁擬き(がんもどき)」の語源は、雁(ガン)という鳥の肉に味が似ていることが由来で、「飛龍頭(ひりゅうず)」の語源は、もともとポルトガル語に日本語をあてがった別の料理名が由来という説が有力です。
上記は辞書やネットで調べた結論ですがまだ謎がいくつか残っており、下記は当サイトで調べた筆者の独自仮説です。
当サイトが仮説として考えた、今まで謎とされていたがんもどきとひりゅうずの由来
- 豆腐百珍のブームによりこんにゃくから豆腐に食材が変わった
- 雁の味に似ているからではなく、雁が食べられないから雁擬きを作った
- 京都から江戸に天ぷらの文化が渡った・両者では天ぷらの文化に違いがあった・京都では京菓子が盛んだったことから、先に「ひりゅうず」が広まったため「がんもどき」という言葉が西に広まらなかった
また、フィリヨースとひりゅうずの製法が似ていたからという説が有力ですが、製法よりも見た目が似ていたからではないかと(これは独自仮説ではない)。
というわけで、以上の結論にいたった根拠や過程もありますのでぜひどうぞ笑
いけずの語源↓
くしゃみの語源↓
全国の動物や昆虫の方言まとめ↓
がんもどきの語源を解説
僕はがんもどきといえば、おでんというイメージなのですが笑、それはそれとしてわりと謎に包まれている食材なので調べてみました。
冒頭にあるとおり、大筋は雁という鳥の肉に味が似ているからという説が有力そうですが、いろいろと歴史があるみたいなので順番にご紹介します。
語源辞典やネットで調査
手持ちにある3冊の語源辞典で調べてみましたが、がんもどきの記載内容は以下のとおり。
- 元はこんにゃくや麩を揚げたものの意味だった→現在のがんもどきの意味合いに
- 「もどき」は真似るという意味の「もどく」という動詞が名詞化したもの
- 精進料理で魚の代用として使われていた
続いて、ひりゅうずについては次のとおり。
- ポルトガル語のfilsoh(ポルトガルのお菓子)に漢字をあてがった
- 粉が油の中で跳ね、龍の頭のようになることから名付けられた
飛竜頭に関してまとめると、もともとポルトガルのお菓子に漢字を当てて「飛龍頭」と呼んでいた(似たお菓子を作ってた)→その後、「飛竜頭」がなぜか豆腐野菜揚げ(ひりゅうず)を表す意味になった→そうなった由来の説は何種類か存在している、という感じです笑
で、以上が辞書で調べた内容なのですが、ネットで調べてみるとほかにもいろいろな由来がありました笑
そのほかのネットで得たがんもどき情報
- 「丸(がん)」という鶏肉を丸めた料理が由来説
- 江戸時代は豆腐で具材を包むまんじゅうのような料理だった
- 具の中の昆布が「雁」が飛んでいるように見えた
そのほかのネットで得た飛竜頭情報
- 「Filhos(フィリヨース)」はポルトガルの伝統お菓子(小麦粉と卵を混ぜた揚げ菓子)
- 江戸時代の末期まではこんにゃくを揚げたものという意味だったが、いつの間にか「がんもどき」と同じ意味になった
- がんもどきに似た料理である、豆腐巻(とうふけん)と作り方が似ていたことから現在の意味になった
時系列などのまとめ
それでは本格的な考察に入るまえに、今までの情報を整理してみます(筆者は謎に仮説を立てて考察するのが大好きなので)。
さて、このページにいらっしゃった方はすでに他サイトでがんもどきの定義を見た方がほとんどだと思われるので笑、あえて説明を省いていましたが、あらためてがんもどき(ひりゅうず)の定義をおさらい。
つぶした豆腐に野菜をまぜて揚げた料理
続いて、辞書とネットを調べてもほとんど違いはなかったのですが、その両者でいわれているがんもどきの由来は以下のとおり。
- もともとは精進料理として、肉の代用品として作られていた(お坊さんはお肉とか食べられないので)
- 当時は豆腐ではなくこんにゃくが材料だった
- その後、現在のがんもどきの意味となった
上記が「がんもどき」の大体のコンセンサスといえそうですが、下記はひりゅうずの有力とされているであろう時系列。
- ポルトガルのフィリヨースというお菓子が日本に渡り、飛龍頭と呼ばれ、本場と似たようなお菓子が食べられた
- ところが、なぜか豆腐に野菜を入れて揚げた料理を、飛龍頭と呼ぶようになっていた
- 説としては、豆腐巻などの他料理と製法(揚げるところなど)が共通しているからといわれている
で、両者に共通するところとしては、どのサイトでもいろいろな説はあるが(そもそも語源自体、完全に確定できるものではないにせよ)、今でも諸説あって本当のところはわかっていない、という結論でした笑
では、下記にわかりやすく今までの疑問点をまとめてみます。
由来の疑問点まとめ
- 「がんもどき」はこんにゃくが材料だったのに、いつから豆腐を揚げたものになったのか
- がんもどきの名前の由来は、本当に雁という鳥の味に似ているからなのか
- 「ひりゅうず」は揚げ菓子だったのに、なぜ揚げ豆腐という意味合いになったのか
- 「飛竜頭」はポルトガル語由来なのか・油の中の粉が龍の頭に見えた説はあとからいわれたものなのか
- なぜ「がんもどき」と「ひりゅうず」で言い方がわかれたのか
大まかにまとめると、この5点なのかなと。
さて、今まで日本じゅうのいろいろな人ががんもどきについて調べてきたでしょうから笑、僕が調べてもほぼ100%真実はわからないでしょう。
ただ、僕は仮説を立てるのが大好きなのでw、ここまでの材料をもとに、さらに深掘りして隅々まで推測していきたいと思います(地獄の始まり)
まず知らない単語を調べてみる
ここまで調べてきて、よくわからない単語がけっこうありました笑
「雁」という鳥、「フィリヨース」という揚げ菓子などが、主に人生で初めて聞いた言葉でしたね。
これらを中心に、がんもどきやひりゅうず関係の知識を調べてみることに(敵を知るにはなんとやら)
雁について
- カモ科だがカモより大きい
- 宮城、北海道、新潟などに渡り鳥としてやってくる
- 現在は数が少なくなっており、日本では保護鳥となっている
- 味はおいしいらしく、徒然草にも登場し皇族も召し上がれるほどの人気
- 「雁首をそろえて」の慣用句の元となった鳥
- なぜ日本に渡ってくるのか→元の住処がすぐ冬になってしまう地域のため、生息地を南に移習性がある
- 海外では現代でも食用されている
感想としては、思った以上にめちゃめちゃ有名な動物でした笑
ただ日本では禁猟となっていることからかなんなのか、現代では知る人ぞ知る存在(?)となっているのでしょうか(自分が無知なだけかも)。
フィリヨース
- 小麦粉に卵を混ぜて揚げたお菓子
- ポルトガルの伝統菓子で、中世から食べられていて砂糖などをかけて食べる
- 見た目は日本の桜の花びらとかレンコンの切り口っぽい
- クリスマスにはかぼちゃ入りのフィリヨースもある(形はコロッケっぽい)
- ブラジルでも食べられている
調べてみると、想像以上に現代でも普通に食べられてる有名なお菓子でした笑
で、ふと「江戸時代ってそんなに揚げ物って食べられてたのかな?」と気になったので、引き続き調査してみることにしました。
というか、江戸時代の食事情を知らないとこれは仮説を立てられないなと思ったんですよね笑
江戸時代と揚げ物
- 安土桃山時代、鉄砲といっしょに「天ぷら」が「南蛮料理」として日本に伝来
- 油が貴重だったため、自然と天ぷらも高級品だった
- 江戸時代初期から油の生産量が増え、江戸では気軽に屋台で食べられるように
- 西の天ぷら→魚のすり身を揚げたものが天ぷらと呼ばれていた
- 東の天ぷら→魚をすり身にせず衣をつけて揚げていた
…なんとなく少し詳細はわかってきましたが、まだなんとも仮説が浮かんできません笑
他にも気になることがあったので、疲労困憊になりつつも、もう少しだけ調べてみることに。
そのほかに調べたこと
- 室町時代からこんにゃくが精進料理に使われる
- 江戸時代、こんにゃくは人気の食べ物だった(今でいうタピオカみたいな、珍しい食感が喜ばれたため)
- 江戸時代にこんにゃくのレシピが100本載った書物が出たほど
- 新しい保存法が確立され、江戸時代にはこんにゃくが各地に広まる
- こんにゃくの唐揚げは現代でも食べられている
- ※注目 こんにゃくを白魚に見立てた料理が存在した
なんと、こんにゃくを白魚になぞらえた料理が、江戸のこんにゃくレシピ「蒟蒻百珍」にあったとのこと(参考サイト↓)。
この情報によって、「がんもどき」のほうはなんとなく道筋が見えてきました。
揚げ物や豆腐を追加調査
- 江戸初期、豆腐は贅沢品だった
- 精進料理の「糟鶏(そうけい)」が、古い本にがんもどきを俗称として記載していた
- 江戸時代後期から豆腐が庶民の間でも食べられるようになり、「豆腐百珍」という豆腐のレシピ本がブームとなった
- この頃は「百珍」という百個くらい何かを載せる本が流行っていた
- 豆腐百珍は大坂で好評で、やがて江戸に渡っていった
- 豆腐百珍は続編がいくつも出るほどのヒットシリーズに
- その後、「卵百珍」、「大根百珍」、「蒟蒻百珍」なども続々発行
- 豆富小僧という妖怪が生まれたほどの豆腐人気
いろいろ書きましたが笑、要は「豆腐百珍」というレシピ本が江戸で大人気だったという点が重要だと思ったんですよね。
江戸時代の揚げ菓子も調査
なんとなく仮説は固まってきましたが、「江戸時代の揚げ菓子」についてもっと調べないと、フィリヨースがひりゅうずになった経緯はわからないと感じ、1日寝て体力を回復してから笑(執筆二日目です)、さらにネットを調べてみましたw
- 平安時代などから貴族の間では揚げ菓子が親しまれていた
- 砂糖が普及してから、庶民の間で和菓子が大人気となった
- 政治の中心は江戸に移ったが、京都周辺では上菓子(上等な菓子)が評判だった
要点としては、京都には独自のお菓子文化があったとされることです。
ほかには、江戸時代にお菓子本があるか探したのですが(菓子百珍みたいな)、これはとくに見当たりませんでした笑
当サイトの結論
というわけでいろいろ調査してきましたが、自分なりに仮説を導き出したのでご紹介します。
考えた仮説はふたつ。
ひとつめは、「どうしてこんにゃくを使ったがんもどきが、今のがんもどきになったか」。
ふたつめは、「どうして揚げお菓子だったひりゅうずが、今のひりゅうずになったか」。
がんもどきの由来仮説
こんにゃくを使った従来のがんもどきが、「豆腐百珍」のブームによって、言い間違い・勘違い・アレンジなどによって、現在のがんもどきの意味になった
順番に説明していくとですね、まずこんにゃくを使った精進料理があったわけじゃないですか(がんもどきのこんにゃくバージョン)。
で、その料理は料理であったけれども、精進料理なのでそこまで有名じゃなかったのではないかと。
そんななか、豆腐百珍が江戸のなかでブームとなり、やがて勘違いだったり料理のアレンジが生まれ、意味が変わっていったと僕は考えました。
とくに江戸時代はさまざまに禁止されている食材があったためか、「○○もどき」という料理がたくさんあり、こんにゃくを豆腐に変えたりなどの試行錯誤が起きてもおかしくないのかなと。
ひりゅうずの由来仮説
- フィリヨースとひりゅうずの見た目が似ていた
- 天ぷらの文化が違い京菓子が存在する京都では、「がんもどき」よりも「ひりゅうず」のほうが通りがよかったので広まった
- 京都から江戸に文化が広がったため、先にひりゅうずが定着していた
順番に説明すると、まずフィリヨースという揚げ菓子が南蛮菓子として広まってきましたよね。
で、これって桜の花びらみたいな形もあるんですけど、さつま揚げみたいな形のも存在するんですよ(Googleで検索すると花びらの形のイラストが目立っているが)。
なので、見た目が似ていたので混合されてしまった(これは当サイトで考えた仮説じゃないですが)
いろいろネットで見ると、製法が似ているから~とされてるんですけど、製法よりも見た目が似ているからのほうがわかりやすくて説得力があるかなと。
で、じゃあなんでそれが「がんもどき」にならなかったか、という問題が残りますよね。
京都と江戸の違いとして、「京菓子の有無」と、「天ぷらの文化の違い」が挙げられるかなと。
京都ではすり身などを挙げるもの(さつま揚げに近い)が天ぷらと呼ばれていて、それが江戸にいって広まり、魚などを揚げる現在に近いかたちとなっていきました。
要は、「京都を中心とする西日本はさつま揚げ(すり身を使った揚げ物)が盛んだった」ため、フィリヨースと混同しやすかった。
さらにいうと、京菓子を含め江戸よりもお菓子文化が盛んだった京都周辺では、フィリヨースなどを見かける機会が多かったのではと。
くわえて、京都から江戸に天ぷらの文化が広まっていきましたが、つまりそれだけ遅効性が存在しており、先に「ひりゅうず」が西では広がっており、東で広まった「がんもどき」という言葉が西にいかなかったのではないかと考えました。
味ではなく雁の代用品だった仮説
まず、巷で有力とされている、雁の肉に味が似ているからがんもどきになった、という説。
僕はこれ微妙に違うんじゃないかなと思って笑
理由はというと、雁って高級品だったという記述があるんですよね(論文のPDFを参考にした→江戸時代における獣鳥肉類および卵類の食文化 – J-Stage)。
どちらかというと、現代でいう「カニとかにかまのような関係」だったのではないかとw
つまり、ニュアンス的には「味が似てるからがんもどきだ」ではなく、「雁が食べられないからがんもどき作ったぞ」のような感じかと(こう書くといやそんなの当たり前でしょ思われるかもしれないが、がんもどきが代替品という記述は他の歴史紹介サイトにはなかった)
どこまで雁が高級だったかによって左右されるので、そこまで強く推しているわけではありませんが(おい)、ただいろいろな食材が宗教や幕府や金銭の問題で制限されていた時代なので、あながち間違いじゃないのかと。
まとめ
以上、がんもどき、ひりゅうずの語源や由来を解説しました!
いちおう自分のなかで納得できる仮説は立てられたので、2日がかりで書いた長編記事となりましたが、とても充実した時間となった次第です笑